Saturday, April 28, 2012

哲学 第一次の現実態

哲学 第一次の現実態

哲学の勉強を最近始めました…が、難解な言い回しが辛いです。



アリストテレスが言ってたらしいのですが、どうにも理解できません。



それゆえに魂とは、「可能的に生命を持つ自然的物体の、第一次の現実態」と規定される。

(アリストテレス『魂について』第2巻第1章)



第一次の現実態って何ですか? ただの現実態と違うんですか?

可能態とかいうモノと対比されるとか何とか言ってましたけど…可能態もよく分からなくて困ってます。



インターネットとか本も読んだけど、難しい…誰かわかりやすく教えてほしいです。







可能態と現実態という言葉の意味から引用文を見ていきます。



「インターネットとか本も読んだけど」とありますので、Wikipediaを参考にします。デュナミスの項に

「事物の生成とは可能的なものが現実的なものに発展することである、とアリストテレスは考えた」

(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%AF%E8%83%BD%E6%85%8B)

とありますが、ここでいう可能的なもの=可能態、現実的なもの=現実態と考えて差し支えはないでしょう。

同ページに例が示されていますが、あえて別の例を出します。

例)「熱い」という状態を可能的に有している「木(の棒)」がある。これを現実に熱くするであろう、また現実に熱いであろうものが「火」である。と言ったときの木(の棒)が可能態であり、火が現実態であると言えます。



では本題に移りましょう。「可能的に生命を持つ自然的物体」←これが可能態ですね。

そして、「魂とは」とありますので魂が現実態ですね。

ようするに、生命を持つ、つまり生きているということが可能である物体(たとえば人間の体)が、生きているという状態にするものが魂である。しかも、「第一次の」とありますので、はじめに必要とされる要素とでも言いましょうか(一番大事なともいえます)

そういったものを「魂」と言うんですよという意味ですね。

ですから、「第一次の」とあるのでただの現実態とはちょっと違いますね。



引用文を理解するには、この回答だけでは不十分です。ですが、この回答が少しでもアリストテレスを理解するのに役立てば幸いです。

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