アプリオリとつねにすでにの意味の違いを教えてください.
アプリオリとつねにすでに(ハイデガー、デリダ、ジジェクetc等における)の意味の違いを教えてください。wikiの引用とかではなく。
あと、ラカンの言う、象徴界から排除されたものは現実界に回帰する、その理論的機構も知りたいです。
象徴界から排除されたものは現実界に回帰する、というラカンの式と
エンテレケイアから漏れたそのデュナミスがエネルゲイアに回帰する、という式との違いを教えてください。
あと元の原文や単語、またその語幹・接頭辞・接尾辞の意味などもご教授いただければ幸いです。
よろしくお願いします。
1.アプリオリは、しばし<先験的>と訳されていたと記憶しています。
( ラテン語 より、 a prioriを経て。 )
もう片方は、アポステリオリ<後天的>とか訳されています。
(ラテン語 より、a posterioriを経て。)
そして、<すでに>、Deja. -フランス語の単語を連想させますが -
言語学のF.ソシュールへの参考にも使えます。
2.ラカンの方もは、あなたには恐らく簡単です。
あの解けない知恵の輪状にくまれている三つ組みと、
対象アルファ、ディファンシアをくぐらせてみて下さい。
生と死の非対称が転じている事をクリア出きる様にとわかります。
それで、式の違いですが、ここは分られると考えることが出来ると思うんです。
アリストテレスのその式とは、ひとまず、
簡単に form として「違うんだ」とみてもいいと考えます。
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